日本のマンガは世界一

日本の「MANGA」や「TANKOBON」は海外でも通じる言葉となっています。日本のマンガの起源は「浮世絵」で、気ままに絵を描くという意味で「漫画」という言葉が発明されました。日本のマンガを世界的に広めたのは、手塚治虫。日本のマンガの隆盛は手塚治虫なくしてありえなかったでしょう。

鉄腕アトムから始まった日本のマンガ

手塚治虫は大阪豊中市の出身。曽祖父は蘭方医、祖父は法律家で関西大学の創立者という名門家庭に生まれています。父は住友金属のサラリーマンでカメラ付きのモダンな人物だったそうです。50年代に発表された「鉄腕アトム」はアニメ化されて大ヒット。アメリカにも輸出されました。手塚治虫は当初からアニメの海外輸出を念頭に制作していたそうです。

アトムの誕生日は2003年の4月という設定になっており、すでに過ぎてしまいましたが、残念ながらいまだにアトムのようなロボットの誕生にはいたっていません。手塚治虫の想像力の方が先を行っていたようです。アトムに続いて、「鉄人28号」「エイトマン」「ビッグX」などのアニメもヒットします。

なぜ日本でマンガが売れたのか?

日本において漫画がはやった理由は、良質な作品が登場したことにつきます。手塚治虫の独創的なプロットと描画法は世界的に見ても画期的で、マンガの根本を変えたと言っても過言ではありません。手塚自身は戦前生まれの人で、戦争で負けた悔しさや、軍の力、戦争に対する恐怖や憎しみをもっており、それらが作品に影響を与えています。彼の初期の作品のベースにあるのは、常に「平和」であり、平和を創り出すための装置として「アトム」があり、「ビッグX」がありました。

その後、手塚の影響を受けて次々と優秀なマンガ家が育ちます。手先が器用で、勤勉な気質を持った日本人には部屋にこもってこつこつと作画する漫画家の仕事に適している人材が豊富だったのかもしれません。

日本は昭和30年代に急速な経済発展を遂げ、その過程においてマンガが受け入れられる土壌が育ちました。家庭生活が豊かになり子供たちが充分な小遣いをもっていたことがマンガの売り上げ増に貢献しています。例え手塚がどんなに良質な作品をかいたとしても、読み手がいなければはやることはなかったでしょう。

同時に、テレビの普及もあげられます。皇太子ご成婚を期に、日本では爆発的にテレビが売れました。子どもたちが家庭でテレビをみられるようになり、そこに最初に登場したアトムは衝撃を与えました。子どもたちはアトムに一斉に恋をした状態となったわけです。

日本のマンガやアニメは間違いなく世界一の文化です。それを生んだのは手塚治虫であり、育てたのは日本の高度成長と、日本の古くからの気質と器用さと勤勉さだったでしょう。日本には、もともとマンガを育てる土壌があったということです。